近年の大規模開発によって、カルチャーの街としてさらに進化を続けている、東京=渋谷。

そんな“渋谷”という街を象徴するものに、スクランブル交差点があります。

スクランブル交差点は、外国人観光客に爆発的な人気観光地となったことで、“世界一有名な交差点”と呼ばれるようになりました。

この記事では、スクランブル交差点について解説します。

スクランブル交差点について

どんな交差点??

世界的に見ても珍しいとされる、全方向横断型の交差点。

一日当たり数十万人もの人々が交差点を行き来をする姿は、迫力満点。

東京の文化ともいえるような、“秩序のある混雑”の象徴として、世界中で紹介されていることや、『バイオハザード』『ワイルド・スピード』などの映画の舞台として知られていることから、外国人観光客に人気の観光地となりました。

ライブカメラが大人気?

動画配信サイトの発達により、スクランブル交差点のライブカメラ映像が人気を集めています。

スクランブル交差点周辺の状況を気軽に調べることができるため、天気の様子、混雑の状況などを知りたいという需要を受けているのだとか。

とくに、ハロウィンシーズンにかけては、アクセス数が増加する傾向にあるようです。

リンク:YouTube

スクランブル交差点を見るならここ!

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スクランブル交差点の歴史

大山街道に行くために

スクランブル交差点の歴史を知るには、江戸の街を知ることからはじめましょう。

スクランブル交差点付近には、現在の交差点を左右に横切るように、大山街道が伸びていました。

この大きな街道は、江戸の人々に大変人気のあった大山阿夫利神社に向かうための道、東海道に繋がる道として、日々利用されていました。

その後、急速に百万を超える人口を抱える世界有数の巨大都市となった、江戸の街。

しかしながら、スクランブル交差点周辺の環境はさほど大きく変わることはなく、大山街道周辺には延々と田園風景が広がっていたそうです。

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急速に変わる街

渋谷駅の前身となる市電の駅「鉄道・渋谷駅」。

明治時代を迎えて、鉄道が整備されたにもかかわらず、一日あたりの駅利用者は数人ほど。

鉄道・渋谷駅周辺もまた、周囲を田や畑に囲まれたところでした。

そんな渋谷駅周辺の環境が変化したのは、明治期の終わり。

東京の都心から人が周辺部に移住するようになったことで、鉄道・渋谷駅周辺が発展を遂げていきます。

それに加えて、大日本帝国が富国強兵の政策を推し進めたことで、代々木練兵場のような軍の施設が設置されるようになり、娯楽用の華やかな施設が増え、戦時色を強く帯びた街になっていったのでした。

スクランブル化を遂げて・・・

アメリカ軍の大規模な空襲により、焼け野原となった駅前には、終戦後急速に闇市ができました。

しかしながら、すぐさま闇市は撤去され、スクランブル交差点の設置が進められていきます。

この際の工事によって、駅前の構造と景観は、現在とほぼ変わらないものになっています。

昭和期の高度経済成長期にかけては、渋谷センター街ができるなどの著しい発展がありました。

1973年に交差点のスクランブル化によって、人が波のように押し寄せる光景が生まれたのです。

まとめ

いかがでしたでしょうか?

“世界一の交差点”と呼ばれる、スクランブル交差点。

東京都を観光する際は、ぜひ立ち寄ってみてはいかがでしょうか。

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